ファブリス・ミリシェー


スローカーも、ベッケも成し得なかった史上初の快挙!
トロンボーンでミュンヘン国際音楽コンクール優勝(2007年)
世界に飛躍する若き新鋭!

 

卓越した技巧により自在に繰り広げられる様はまさに圧巻であり、金管奏者としての堅牢性も含め類稀な才能といえた〜フレンチらしい明晰なアーティキュレーションを伴いながらもしなやかな語り口を併せ持っていた。

■音楽の友2013年3月号


 

ミュンヘン国際音楽コンクール優勝。現在活躍するトロンボニストの中でも随一の豊かな才能を持ち、また最も完成された音楽家として絶賛を浴びている。28歳という若さで優勝し、この優勝は1950年に同コンクールが始まって以来、初のトロンボーンでの優勝という快挙であった。

1985年、音楽一家に生まれ、早くからトゥールーズにて音楽を学び始める。当初よりピアノ、チェロ、トロンボーンを並行して学び、高校の頃にはすべてにおいてコンクール優勝など非凡な才能を発揮。トゥールーズ地方音楽院の卒業試験では最高得点を取り卒業。やがてトロンボーンをリヨン音楽院にてミシェル・ベッケ、アラン・マンフラン、サックバットをダニエル・ラサールに師事、チェロも引き続き研鑽を深め、パリにてフィリップ・ミュレール、ロラン・ピドゥ、グザヴィエ・フィリップに師事。

2006年、トロンボーン奏者アウレリエン・オノレー、ジャン・フィリップ・ナヴレ、ファビエン・ドルニと共に、トロンボーンカルテット「カルトボーン」を結成、バロックから現代に至るトロンボーンの進化を表現しようとのコンセプトのもと活発な活動を続けている。

ジョルディ・サバール率いるル・コンセール・デ・ナシオン、ダニエル・ラサールとジャン・ピエール・カニヤック率いるル・ サクブティエ・ド・トゥルーズ、ロランス・エキルベイ率いるインスラ・オーケストラなどと共演。

またウィーン室内管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、ロシア国立エルミタージュ交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、カンヌ管弦楽団、ウクライナ国立管弦楽団などへ客演。ワシントン、北京、東京、ソウル、ミュンヘン、ジュネーヴ、パリなど世界各地でのソロリサイタル、また国際音楽祭にも多く招かれ、イースタン・トロンボーン・ワークショップ(ETW)、金管楽器音楽祭「エプシバル」、ドンブやリムー(フランス)の各管楽器フェスティヴァルなどに出演。

元ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団首席奏者。

現代音楽での活躍も目覚ましく、ミリシェーのための作品は、ジャン・ギユー作曲「トロンボーンとブラスアンサンブルのためのコンチェルト」、エティエンヌ・ペルション作曲「リブレット」、Alain Celo「"L’appel sauvage」、パトリック・ビュルガ「“La chute de Lucifer”(The fall of Lucifer)」など多数にのぼる。

2005年ブダペスト国際トロンボーンコンクール、2006年トゥールーズ・バロック・トロンボーンコンクールにて入賞、そして2007年ミュンへン国際コンクールに優勝を飾り、一躍話題をさらった。2009年より若手音楽家のためのプログラム「Déclic」に参加、同年、芸術文化アカデミーより銀メダルを授与。2011年、フランス最大の音楽大賞「ヴィクトワール・ド・ラ・ミュジーク」にてRévélation soliste instrumental(最優秀若手音楽家賞)をトロンボニストとして初めて受賞。同年、シャルル・クロス・ アカデミー賞受賞。

若いながらも指導に長けており、2008年よりパリのポール・デュカス音楽院にて教鞭をとり、2009年よりザール音楽大学教授に就任。このことは彼をドイツで一番若い教授にした。それに加え、定期的にフランス、ヨーロッパ各地、またワシントン、北京、ケベックなど世界中のマスタークラスに招かれている。2013年フライブルク音楽大学の教授、パリのコンセルヴァトワールの教授、2020年にはエリザベト音楽大学の客員教授に就任。現在、アントワンヌ・クルトワのアーティストとして、“レジェンド420 NSBHST”を使用している。

 

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