クリスチャン・リンドバーグ 伝説の50年 1976年〜2001年

クリスチャン・リンドバーグは今年でアーティスト活動を始めて50年になります。その長い活動歴に残る数々の伝説の瞬間を、年毎に振り返ってみましょう。

1976年(18歳)

ストックホルム・コンサートホールにてソロデビュー。わずか11ヶ月のトロンボーン歴でリムスキー=コルサコフのトロンボーン協奏曲を演奏。伝説のスウェーデン首相オロフ・パルメ(ウィキピディアページ入れます)が最前列で涙を流して聴いていた。

1977年(19歳)

ロイヤル・ストックホルム・オペラ管弦楽団のオーディションに合格。
リゲティの驚異的なオペラ《ル・グラン・マカーブル》の世界初演、ゴッツ・フリードリヒによるワーグナー《ニュルンベルクのマイスタージンガー》の舞台に参加。

1978年(20歳)

オーケストラを離れ、スウェディッシュ・ブラス・クインテットを設立。
トロンボーンによってソロキャリアを築くという、史上初の試みに踏み出す。

1979年(21歳)

ブリティッシュ・カウンシルの特別奨学金を獲得し、ロンドンで1年間の留学を実現。

1980年(22歳)

ロンドン王立音楽大学にて「優等(with honor)」の評価でARCMディプロマを取得。

1981年(23歳)

ノルディック・ソリスト・ビエンナーレ(全カテゴリー)で初の国際ソロコンクール優勝。

1982年(24歳)

北欧4カ国(デンマーク、ノルウェー、フィンランド、アイスランド)でソロデビュー。

1983年(25歳)

ロサンゼルスで7ヶ月かけてBISレーベルの初アルバムを準備。
そのアルバムにより、国際的な批評家たちから「トロンボーンのパガニーニ」「トロンボーンのセゴビア」と称賛される。
BIS、ドイツ・グラモフォン、デッカ、デロス、デノン、ECM、ヨーロピアングラモフォンなどから200枚以上のアルバムをリリースするきっかけとなる。

1984年(26歳)

ロッテルダムで開催されたフランク・マルタン・コンクールにて第1位およびマリア・マルタン賞を受賞。

1985年(27歳)

ロンドン・ウィグモア・ホールでのリサイタル・デビューが、『タイムズ』紙および『デイリー・テレグラフ』紙で絶賛される。

1986年(28歳)

シカゴ・グラント・パークでの米国ソロデビュー(CBSによるテレビとラジオで生中継)で、史上最大の観客80万人の前で演奏。

1987年(29歳)

バンベルク交響楽団との初のソロCDBISよりリリース。

1988年(30歳)

香港とオーストラリアでのオーケストラとの共演でソロデビュー。
ドイツではシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭とラインガウ音楽祭にてデビュー。

1989年(31歳)

《モーターサイクル協奏曲》の世界初演を行い、イングマール・ベルイマン監督を含む1500人以上の聴衆からスタンディングオベーションを受ける。以降700回以上演奏。

1990年(32歳)

12曲もの新しいトロンボーン協奏曲をすべて暗譜で初演。

1991年(33歳)

東京と大阪で日本デビュー。
スウェーデン政府から10年間のアーティスト給与を提供される。

1992年(34歳)

年間240日間にわたり世界中を旅しながら、150回のソロ・オーケストラ公演を実施。
ヴァレリー・ゲルギエフ、ギドン・クレーメル、ヨーヨー・マとともにBBCアーティスト・オブ・ザ・イヤーにノミネートされる。

1993年(35歳)

ZDF(ドイツ)、La Sept(フランス)、YLE(フィンランド)、スウェーデン国営テレビ、Arte(ヨーロッパ文化チャンネル)によるドキュメンタリー『The High Flying Lindberg』が制作され、2年間にわたりリンドバーグを追った映像作品として放送される。

1994年(36歳)

武満徹のファンタズマ/カントスⅡを暗譜で初演。
コンセルトヘボウ管弦楽団とリッカルド・シャイー指揮によるソロ録音をデッカよりリリース。
ストックホルム群島に40,000平方メートルの半島を購入し、後にヨーロピアン・グラモフォンの録音スタジオを建設。

1995年(37歳)

BBCプロムスにてBBCフィルハーモニックとドミニク・マルドウニー作曲のトロンボーン協奏曲の世界初演。
ソロアルバム15作目《リンドバーグ10周年記念》をBISからリリース。

1996年(38歳)

オーストラリア室内管弦楽団と共にツアーを行い、シドニー・オペラハウスで3夜連続で満席の観客を迎える。
金沢室内管弦楽団とのソロ録音をドイツ・グラモフォンよりリリース。

1997年(39歳)

サンドストレムの《ヴァールベリ変奏曲》世界初演後、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアから指揮者としてのキャリアを開始するよう説得される。
5度の辞退の末、6度目の提案を受け入れ、200010月の指揮デビューに向けて準備開始。
レイフ・セゲルスタム、パーヴォ・ヤルヴィ、ネーメ・ヤルヴィ、ジェームズ・デ・プリースト、ギルバート・ヴァルガらに師事。 

1997年(39歳)

サンドストレムの《ヴァールベリ変奏曲》の世界初演後、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアから指揮活動を始めるよう強く勧められる。5度断るが、6回目の説得でついに承諾し、200010月の初指揮に向けて準備を開始。レイフ・セゲルスタム、パーヴォ・ヤルヴィ、ネーメ・ヤルヴィ、ジェームズ・デ・プリースト、ギルバート・ヴァルガに師事。

1998年(40歳)

自身初の作品《Arabenne》(トロンボーンと弦楽のための)を初演し、絶賛される。翌日には新たに2作品の委嘱を受ける。ロンドン王立音楽大学で「プリンス・コンソート名誉教授(トロンボーン)」に任命される。

1999年(41歳)

ザルツブルク音楽祭オープニングで、ベリオの遺作オペラ《Chronaca del Luogo》にて「アブラフィア」役でオペラ歌手・パフォーマーとしてデビュー。さらにチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とともに、ベリオのトロンボーン協奏曲《SOLO》を全編暗譜で世界初演。

2000年(42歳)

国際ブラス専門誌『Brass Bulletin』による「20世紀で最も偉大なブラス奏者」読者投票で、ルイ・アームストロング、マイルス・デイヴィスと並び、クリスチャン・リンデバーグが上位に選出。

2001年(43歳)

スウェーデン・ウィンド・アンサンブルとノルディック室内管弦楽団の2つの指揮契約を受諾し、双方の首席指揮者に就任。契約はそれぞれ3回更新され、2011年と2012年まで継続。

続き→523日公開予定(200244歳→202466歳)

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